日本に古くからある旧街道のうち、東海道、中山道、甲州街道、に日光街道、奥州街道の5つは五街道として有名です。
なかでも東海道は、十返舎一九が書いた「東海道中膝栗毛」や歌川広重が描いた「東海道五十三次」が有名で、歴史の授業で学んだ記憶がある方も多いでしょう。
今回は東海道と、また東海道のなかでも特に、滋賀県にある草津宿について詳しくご紹介します。
旧街道のひとつ東海道にある草津宿① 東海道の歴史と道のり
現在東海道新幹線が走る東海道は、かつて江戸と京都、大坂の間を結ぶ街道として整備され、徳川家康により「伝馬制」の制度が敷かれていました。
伝馬制というのは、幕府の公用の書状や荷物を出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに交代して運ぶ制度のことです。
東海道は海岸に沿った道のりとなっていたため、交通の障害となる大きな川が多くあるのも特徴でした。
特に伊勢湾には木曽川、長良川、揖斐川と3つの大きな河川が流れ込んでいたため、当時伊勢と尾張の間では、「七里の渡し」という「海の道」を、渡し船で移動していました。
また箱根の山を越えるのも難所の1つとされていた上、関東防衛の拠点とされていたため、関所を通過するのにとても厳しいチェックがあったそうです。
そんな東海道は、現在の東京都中央区にある日本橋からスタートします。
そして神奈川県の川崎、箱根を超えて静岡に入り、浜松を越えやがて愛知県岡崎市に入ります。
愛知から三重の四日市に入ったあたりから海沿いを離れ内陸に向かい、滋賀県を通って京都の三条大橋が終着地です。
東海道新幹線では東京から京都まで約3時間の道のりですが、当時は徒歩で15日ほどかかっていたそうですよ。
旧街道のひとつ東海道にある草津宿② 草津宿の歴史と概要
草津宿は、旧街道のうち東海道と中山道の分岐点にあった宿場町です。
京から向かうと、草津宿から川を越えて左に進めば中山道、右に曲がって海側に向かえば東海道へと進めました。
分岐点には「追分道標(おいわけづおひょう)」が、旅人が道に迷わず安全に旅ができるように願って建立されましたが、追分道標は今でもその姿が名残を留めています。
また東海道、中山道の合流地点であった草津宿は、江戸時代の参勤交代制度のもと、多くの大名や役人が宿泊する宿場町でしたが、なかでも草津宿本陣はひときわ大きな規模で、重要な役割を果たしてきました。
草津宿本陣には現在でも貴重な資料が数多く保管されていて、重要な文化遺産となっています。
まとめ
旧街道のうち東海道は、日本の歴史のなかでも重要な役割を果たしてきました。
そのなかでも草津宿は、東海道と中山道の分岐点となるため、多くの大名や役人、また旅人を受け入れて発展してきた宿場町です。
今でも東海道本線、名神高速道路、国道一号線など主要幹線が通る草津を、ぜひ一度訪れてみてください。
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